むすめの命日
娘同様に育てていた猫の命日を忘れていた。2002年のこの日に助ける事ができなかった娘の命日を、10年たたずして忘れてしまった。あ、と思った時にはもう命日を過ぎていた。人は忘れる事ができるからどんなつらい事があっても生きていけると誰かが言っていたが、まさか自分がこうしてあの日を忘れてしまうとは思わなかった。思い出すのはつらいが、思い出せないのもつらい。
燃えさかる劫火の中、炎に怯え、僕の助けをただただ待っていた娘。
燃えさかる炎を前にして、消防署員をつかまえ訴えてももう無理だと取り押えられ、まだ行けると裏手にまわり煙にまかれ動く事もままならず何もできず、燃え落ちる家を見上げる事しかできなかったあの日。目の前で家族が燃えていくのに何もできない無力感、悔しさ、そして申し訳なさ。ただ立ってる事しかできなかった自分。
夜も明け鎮火し、現場検証の後、自分の家だったところへ入る。燃え残ったガレキをはじからひっくり返していく。そして、みつけた。少しでも煙や熱から逃げようとしたのか畳んだ布団の中にもぐりこんでいた。娘は左半身は煤けていたが、右半身はそれは綺麗なものだった。まだ、あのやわらかな優しい毛並みが残っていた。生まれて初めて慟哭とはこういうものだと自分の身をもって知る事になった。
それ以来、火事はもちろんの事、サイレンの音も駄目だ。とにかく駄目だ。
大事故などのニュース映像を見るに残された被害者のトラウマ云々という報道を聞いて、何いってんだろうというくらいの認識しかなかった。しかし自分の身にふりかかってみて初めてわかる、なるほど心的外傷とはいかに深く厳しく残るものかと。
深い傷も、命日を忘れてしまったように、時間はかかるがやがて治り、忘れる日がやってくるに違いない。そうしないと人は生きていけないからなのだろうが、寂しくもあり悔しくもある。
- 作者: 須藤真澄
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- 発売日: 2006/01/16
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